仕事の仕方を人に合わせる

何年か前に「日本でいちばん大切にしたい会社(坂本光司著、あさ出版)」や「虹色のチョーク(小松成美著、幻冬舎)」を読んで、「人と仕事」の関係について考えたことがあります。

この2冊が描いているのは、日本理化学工業株式会社での障碍者雇用についての取組みです。

日本理化学工業は社員の70%が知的障碍者という会社です。そして主力商品のチョークについては国内シェアの30%以上を誇るトップメーカーでもあります。私がかつて勤務していた学校でもよく見かけたチョークを作っている会社だったのです。

なぜ知的障碍者を多く雇用しながら、トップメーカーであり続けるのか?詳しいことは、上記の本か日本理化学工業のホームページをご覧いただきたいのですが、一言で表せば、「仕事の仕方を人に合わせる」ということなのだと私は思います。

知的障碍者にも、安全でわかりやすく、一定の水準の製品を作り続けられる作業工程を工夫する。言葉にすればただこれだけの事だけど、それをやり遂げるのは並大抵のことではないと思います。

何よりも「その作業は何のためにやるのか」ということを、突き詰めて考え抜かなければ、そんなことはできっこありません。

つまり、障碍者のための作業工程を考えるということが、その仕事の本質を見極めることにつながっているのです。

その上で作業を標準化していく、即ち、誰もがその仕事をできるようにする。しかも製品の水準は保ったまま。経験とか勘に頼っていた部分も、可能な限り分析し、時には分かりやすい言葉や記号で表現して伝えていく。

でも、これって「障碍者のため」だけになることではないですよね。

例えば最近、農福連携が注目を浴びています。農業の現場に障碍者を受け入れ、ともに作業を行う取組みです。

「食料・農業・農村白書~令和元年版」(農林水産省編)には、農業経営者が障碍者を雇用するにあたって、作業工程の標準化のためにGAP(農業生産工程管理)を活用し、生産性が向上し賃金増にもつながっている例が紹介されています。

日本理化学工業だけではない様々な事業で、人に合わせた作業工程を考えることで、実績をあげているのです。

私たちはもしかすると「仕事に人を合わせる」ことを重視してきたのではないでしょうか?あるいは、もう少し大きく「社会に人を合わせる」と言ってもいいかもしれません。

別の言い方をすれば、人が社会に適応するとか、仕事に慣れるとか。適応した状態を指して「成長」とか。

これはこれで大切な一面はあります。

小中学校が目指していることの1つがまさに「社会への適応」です。この社会で生きていくために必要なスキルを身に着けるのですから。

けれど、この社会や仕事への適応を重視しすぎるとどうなるでしょう?

適応できない者を自己責任だからと排除し、「能力に応じて」などと低賃金の非正規労働として雇用調整の安全弁とする。

仕事の見直しよりも人の適応能力に目が向くために、仕事は従来のまま改善されずに放置され、一向に生産性があがらない。働く人の幸福感や満足感にもつながらない。

本来、社会や仕事は、人を幸福にするためにあるのだと私は思います。けれど、そこには逆転が生まれている。社会や仕事のために人がいる。つまり、人を社会や仕事の道具にしてしまっている。

だからこそ、今、社会や仕事を人に合わせて見直し作り直していく、ということを意識的に取組んだ方がよい。その1つのきっかけが、障碍者の雇用だったり、高齢者や妊婦、子供を持つ親、ガンや精神疾患などのような長期にわたり医療的ケアが必要な人たち、などの労働条件の見直しだったりするのだと思います。

そしてまた、社会や仕事を人に合わせることは、リスクマネジメントの上でも重要な視点にもなるはずです。このことについては、いずれまた。

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