今朝(2019年7月12日)の朝日新聞に「子どもの自殺、再調査でいじめ認定相次ぐ 遺族も不信感」という見出しの記事が掲載されておりました。
まず、そのような選択をせざるを得なかったお子さんに、哀悼の意を表します。また、御遺族には心中よりお悔やみ申し上げます。
さて、この記事は、事件発生後に教育委員会が設置した第三者委員会の内容に、亡くなったお子さんの方の要因が書かれていたために、御遺族が納得せず、首長のもとに新たな委員会を設置し、調査をやり直したという、いくつかの事例に関するものです。また、こうしたことを踏まえた国会議員の議論がストップしていることも伝えています(むしろ、こちらが主題なのか?)。
以前から私は、生徒自殺後の第三者委員会に関連して、次の3つの疑問を持っています。
まず、この第三者委員会は、何を目的として設置されているのでしょうか?
また、この報告書は誰に対しての報告書なのでしょうか?
少なくとも上の二つのことについて、遺族との合意あるいは遺族の理解はあったのでしょうか?(合意あるいは理解があった上で、委員の選任についての問題が出てくると、私は思っています)
第三者委員会の目的です。
①「自殺にいたった経緯と理由・原因を明らかにして、再発防止策の策定への資料にする」ことでしょうか?あるいは②「いじめと自殺の因果関係について調べ、因果関係がある場合、その責任の所在を明らかにすること」なのでしょうか?②に類似してますが、さらに焦点を絞って③「自殺の原因にいじめがあることを前提に、学校・教職員が何故それ(自殺およびいじめ)を防止できなかったのか、その理由を明らかにする」ことなのでしょうか?あるいはその他の目的なのでしょうか?
調査から報告書を提出するまでに、たっぷり時間をかけて良い、というものではないと思うので、第三者委員会の使命は何かを明確にしなければ、的を絞った調査・報告などできないと、私は思います。
仮に①の「自殺に至った経緯と理由・原因を明らかにして、再発防止策の策定への資料にする」という目的で調査・報告するものだとします。
そもそも自殺はただ1つの原因でするものではなく、様々な要因が絡まりあってなされるものである。一般に原因と指摘されているものは、自殺の引き金にはなったかもしれないけれども、それが唯一の原因ではない。何年も前に(記憶が定かではありませんが、20~30年前かもしれません)、心理学関係の本で、そのように読んだ記憶があります。とすると、第三者委員会の調査・報告は自殺にいたった要因として可能性のあるものを1つ1つ検証し、本件についてはどうだったのかを明らかにする必要があるでしょう。例えば、次の項目が考えられます。
- 本人の最近の様子。特に、悩み・不安・不満などの様子。その原因
- 本人の性格・精神的傾向や周囲との関係
- 家庭環境
- 地域環境
- その他の社会的環境(例えば、報道等により、自殺の情報にどのくらい接していたかどうか)
- 以上の中で、最終的に自殺の引き金になったものは何か
検討項目の最後の「自殺の引き金になったもの」を導き出すためには、その上にあるすべての項目をち密に調査・検討しなければならないのではないですか?つまり、本人の性格や精神的傾向(障害の有無など)や家庭環境も調査報告に含まれるはずです。
自殺の引き金を特定するのは、そこに自殺の責任を押し付けるためではありません。少なくとも引き金がひかれなければ、自殺は先送りされていたのだから、それを知っておくことは、自殺予防には有益という理由です。
そしてこの目的の場合、報告書の名宛人は教育委員会または首長であって、御遺族には首長または教育委員会が報告をもとに、今後どのような対応をするのかを伝達するということになるのではないでしょうか?
第三者委員会の目的が前記の②と③は、いじめがあったという事実を前提にするという点においては、共通してます。
ただ②は、いじめと自殺の因果関係を調査する必要があるのに対し、③はいじめの他の自殺要因は無視していじめにだけ注意する点で異なります。
因果関係の有無を知るためには、やはり自殺に至った他の要因も検討することになるので、本人や家庭環境・地域やその他も検討要因に入るはずです。③であれば、学校・職員の対応へ焦点があるので加害生徒の実名公表の必然性はないと思いますし、学校・職員が亡くなった生徒やその家庭に対しどのような理解をしていたのかが生徒の生活指導をする大切な要素になるため、やはり生徒・家庭に関する要素は報告書に記載されることになるでしょう。
つまり、私の考えでは、第三者委員会の目的を明確にすることはとても重要で、まず、そのことについては御遺族の理解を得ておく必要はあるであろう。そして、どのような第三者委員会の目的であるにせよ、生徒本人の特性や家庭環境に関わる要素は、何らかの形で検討が必要であり、報告書にも記載されるはずだということです。
ですから、第三者委員会の設置にあたり、第三者委員会の目的や報告書の名宛人は誰なのかについてはもちろん、調査検討項目や調査方法についてもあらかじめ遺族には知らせておくべきだと思います。
また、この朝日新聞の記事では、「発達上の課題があり、からかいの対象になりやすかった」という報告書の記載が、遺族の反発を呼んだことに触れています。問題は、「発達上の課題がからかいの対象」ということではなく、仮にいじめ加害者が、障がいやその特性をいじめの理由としていたとしても、次の項目に対してはどうだったのかという検証と記載の有無や程度なのではないでしょうか?
- どのくらいの教職員が、亡くなった生徒が障害の有無やその特性、そして対応の方針等について理解していたか。あるいは理解しようとしていたか。
- 教職員が周囲の生徒たちに対して、障がいの有無や名称を知らせるべきかどうかはさておき、障がいの特性や対応方法について、折に触れて、適切な方法で指導していたかどうか。
- 2に関して、教職員自身が手本となるような行動を、周囲の生徒に示せていたのかどうか。
- 上記2や3ができていなかったとして、それはなぜなのか。
- 障がいなど本人の特性をいじめ理由としていた場合、その生徒の範囲やそれに対する指導経過はどうだったのか。
こうした点について調査検討していなければ、たとえその報告の名宛人が教育委員会であって遺族ではないとしても、たとえ関係者の処分を教育委員会がおこなったとしても、遺族はとうてい納得できないだろうなとは思います。
ただ付け加えれば、もし本人の障がいの特性が周囲の者を繰り返し困惑させるようなものであれば、いじめ関連の対応として「加害生徒や周囲の生徒への指導」だけにとどまっていると、おそらくいじめは収まらないし、一見、収まったに見えても単に本人に関わらなくなっただけで、実質的に本人は「孤立」といういじめを受けていることに変わりはありません。ですから、将来の自立も見据えて、まず「本人自身が発達上の課題について理解」し、「場面に応じた適切な行動をするための訓練」または「困った行動のかわりになる、妥当な行動をする訓練」をするべきだと思います。もちろん、本人・家族の理解の上でですが。今、こうしたことを公言すると、「被害者が悪いというのか」と私もお叱りを受けそうですが。
もう一度、第三者委員会の目的に戻ります。
私は「責任の所在を明らかにする」ことを第三者委員会の調査・報告の目的にするべきではないと思います。第三者委員会は、事件・事故の経緯を明らかにし、再発防止策の策定への資料にすることに止めるべきです。責任の所在を断定するのは、その報告を受けた教育委員会か、それに不服な場合は裁判所が担うべきです。
けれども遺族は、やはり責任の所在を求めたいでしょう。その心情は理解できますが、第三者委員会にその役割を担わせるのは適切だとは思いません。
仮に第三者委員会の調査・報告の目的が私が考えている通りだとすれば、遺族側との認識のギャップが生まれます。ギャップを放置したまま、第三者委員会が目的にそって報告をまとめても、遺族は受け入れられず、問題が複雑化する。またこのギャップを、我が子を亡くしたばかりの遺族と協議して埋めるのは不可能に近いと私は思います。
ですから、平時において、重大事故・事件発生時の対応や、事故調査委員会または第三者委員会の目的や、その報告の名宛人、そして報告書の利用の仕方等を、おおよそのタイムスケジュールと共に、保護者に知らせておいた方が良いと思います。もちろん、学校ごとというよりも、教育委員会としてです。しかも、毎年1回は必ず周知し、ホームページにも掲載しいつでも見られるようにしておく。つまり、リスクコミュニケーションをすべきということです。
かなり長くなってしまいましたが、結論的にまとめれば、第三者委員会の調査・報告の目的を明確にする。調査・報告の内容には本人の特性や家庭環境にも触れるけれども、それは学校・職員の対応の在り方を検討するためであること。これらを報告書の名宛人は誰なのかということと合わせて、家族の理解・合意を得てから実施する。ただ、これらは事件・事故後に初めて明らかにするのではなく、平時において、保護者全体に対して知らせておくべきである。その上で、第三者委員会の発足時に、改めて説明するという形。