東日本大震災後、その災害時に亡くなった子供の保護の責任を巡って、いくつかの裁判が起こされました。その中で、日和幼稚園、野蒜小学校、大川小学校の判決から、これまで私が学校現場で経験してきた避難訓練では、これらの事件と同じ状況が起きたときに、子供の安全は守れないのではないかと実感しました。言い換えれば、防災計画や避難訓練の在り方そのものを変えていく必要があるのだと思います。
その変えていくための視点を次の4つに整理し、以下にその各視点について説明します。
- 想像力と情報収集
- 決断力と行動力
- マニュアルの整備とそれに基づいた訓練
- 訓練の結果をマニュアルの見直しに生かす
なお、「子供を預かる施設」で私が想定しているのは、保育所・幼稚園・こども園・小学校・中学校・児童館等です。私が肌で知っているのは中学校だけですので、他の施設には当てはまらない記述もあるかもしれません。また、私が見落としている点もあることでしょう。できれば、そうした「当てはまらないところ」や「見落とし」を、教えていただければ幸いです。
1 想像力と情報収集
災害発生時の行動を左右するのが、情報収集力です。ここでは、災害時とその前とに分けて考えます。
① 災害時の想像力と情報収集力
例えば地震発生時。大きな揺れが収まった後、どんなことを想像しますか?
もしその場所が、津波予想のハザードマップでは、浸水区域から微妙にはずれていたとします。「ここは津波は来ない」と思い込んでいる人は、ラジオから津波警報発令の情報が流れても逃げることはないでしょう。しかし、「かなり大きな揺れだったから、ここまで津波が来るかもしれない」と想像した人にとって、津波警報の情報は、次の行動を促すに違いありません。
東日本大震災の時に問題だったのは、災害発生時の情報収集の在り方です。
そして、その情報収集の質と量を決定づけるのが、「何が起きたのか」という事実認識の後の、「今、どこで何が起きているのか」「これから、どこで何が起きるのか」という想像力だと思います。
また、情報収集の方法にも気を付けなければなりません。
情報収集をテレビや手元にあるラジオに頼ってはいませんか?
地震に限らず大きな災害が起きれば、停電するかもしれません。ラジオはその点では強いのですが、得られる情報は、地域的にあなたのいるその場に必要なことが含まれていない可能性があります。
カーラジオの利用、TwitterやLINEなどのSNS、避難してくる地域住民や子供を迎えに来た保護者からの情報など、意識的に聞き取ることが必要です。
また、情報収集する地域的な範囲にも注意をすべきです。
施設の敷地はもちろん、公立の小中学校であれば学区全体(学区外通学者がいればその居住地域やそこに至るまでの道路)、スクールバスの運行経路までの情報を得た方が良いと思います。
なぜならば、それらの情報がなければ、集団下校の実施の判断や、子供を保護者に引き渡すためにどのくらいの時間待機すべきかとか、引渡し時に施設側から提供する安全情報の質に関わるからです。
② 災害発生前の想像力と情報収集力
災害発生時に収集した情報を、冷静に分析し、次の行動を決断し実行するためには、災害前の準備が重要であることは言うまでもありません。そしてその準備にも想像力と情報収集力が必要なのです。
では、災害発生前に、どんなことを想像し、どのような情報を収集すればよいのでしょうか?
もちろん、施設周辺を含む地域の各種ハザードマップを確認することは、必要不可欠ですし、そこが出発点になると思います。でも、それだけでいいのか?
震災後の判決が指摘していたのが、「ハザードマップは一つの情報に過ぎず、そこに頼りすぎてはならない。なぜならハザードマップは、ある想定を(例えばマグニチュード6の地震とか)もとに作られており、その想定を超えた場合までの被害は示されていない」ということです。
例えば私は仙台に住んでおりますが、ここで噴火を予想している施設はどのくらいあるでしょうか?
蔵王からの距離から考えて、仙台は噴火とは無関係、とは言えません。なぜなら、過去の地層に蔵王噴火時の火山灰が含まれている地域もあるからです。
別の例として、隕石落下というリスク。実はこれ、防災士の資格をとるための講座で講師が指摘した受講生の盲点をつくリスクでした。
平時だからこそ、遊び感覚で「この木が倒れたら」、「この擁壁が崩れたら」、「この道が通れなくなったら」と想像力を最大限に発揮しておくことが大切です。
小中学校であれば、地方気象台、郷土資料館や博物館、郷土史研究家へのインタビュー、石碑調査で、地域の歴史を調べてみることもよいかもしれません。今、生きている人の記憶より以前に、もしかすると災害が起きていたかもしれないからです。
もしかすると大川小学校の控訴審判決で「地域住民が有していた平均的な知識及び経験より遥かに高いレベル」の知識というのは、普段のこうした教育活動の中で蓄えていくことかもしれません。
2 決断力と行動力
子供を預かる施設というのは、もちろん組織として存在しています。組織としての行動をするためには、いつ、どのような行動をとるのかを決断する者が必要です。
① 決断する者は誰か
一般的には学校であれば校長、幼稚園や保育所であれば園長となりますが、そこで終わってしまってはいけません。災害時に、そうした管理者がいないこともあります。
小学校や中学校で、1年間の中で校長・副校長・教頭・主幹教諭のすべてが在校していない時間帯は存在しない、と言えるでしょうか?
あるいは、ある緊急場面で管理職以外の者が、その場で決断することを迫られる、といったことは絶対にないでしょうか?
2019年に宮城県の特別支援学校のスクールバス内で筋ジストロフィーの生徒が亡くなりました。この事件は、その時バスに同乗し生徒の異変に気付いた職員が、校長・教頭の指示を待っていたことが問題となりました。
東日本大震災時の野蒜小学校では、校長の指示により保護者引渡しにあたっていた教諭のその場の判断で、亡くなった児童の友達の保護者に、その児童を引き渡したことの責任が問われました。
つまり、「これから全員で〇〇に避難する」という大きな決断をする者は、校長以下学年主任クラスまでは順位をつけておくべきです。
そして、どの職員も「子供の安全を守ることが最優先」という理解のもと、マニュアルに従って決断できるようにしておく必要があります。
② 行動にあたって
釜石市の小中学校で津波防災教育に関われた片田敏孝先生の避難三原則の内の2つが大切だと私は思います。
- 率先避難者たれ
- その状況下で最善を尽くせ
1に関しては、命を守る行動において躊躇せず断固として実行することと、他の者も巻き込んで行うことだと私は理解しています。大川小学校でも教頭先生は「裏山に避難する」ことを考えていたらしいのですが、様々な意見に翻弄され、決断し行動することができなかった。もし、「まあ、ここまでは津波は来ないかもしれませんが、念のため裏山に逃げます。気が倒れたりしているかもしれないから、一緒に行って、手伝ってくれませんか」とでも言い、早めに行動していれば・・・。
2に関しては、例えばあらかじめ決めていた避難場所に集合したとしても、そこで終わりではなく、さらに行動をおこさなければならい状況を想定し続けること。つまり、子供を保護者に安全に引き渡すまで最善を尽くし続ける必要があるのです。
( 参考文献 「子どもたちに『生き抜く力』を~釜石の事例に学ぶ津波防災教育~」片岡敏孝著、フレーベル館 )
3 マニュアルの整備と、それに基づいた訓練
2に書いた「決断と行動」が迅速にかつ適切に行われるためには、「使える防災マニュアル」が作られていなければなりません。
これは学校安全法や保育所保育指針にも示されているので、どの施設にも必ずマニュアルはあるはずです。
しかしそれは「使えるマニュアル」になっているでしょうか?
① 使えるマニュアルにするために
第1に、職員全員が、そのマニュアルを理解していますか?
第2に、その施設に就任してから何日目くらいに、そのマニュアルについて研修または確認の打ち合わせをしていますか?
第3に、職員一人一人が、災害発生時の組織の中で自分は何の役割を担っているのか、自分の他に誰が同じ役割を担うのか知っていますか?また、すぐにその役割を担う行動ができますか?
第4に、マニュアルに記されている自分の役割以外のことを、つまり他の誰かの補欠を務めることができますか?
第5に、そもそもそのマニュアルは、想定される災害に対応できていますか?その想定そのものが甘くはありませんか?見落としはありませんか?
第6に、時間経過とともに変化する状況に対応できるようなマニュアルになっていますか?
第7に、そのマニュアルをもとに、職員だけの訓練をしていますか?(たとえ図上だけのものであったとしても)
第8に、マニュアルそのもの、あるいはマニュアルの中で必要な事柄(例えば「〇〇に避難し、そこで子供を保護者に引き渡す」のようなもの)を、保護者・地域住民その他利害関係は知っていますか?
② 職員の訓練でやったことを、子供と共にする訓練でやれるか
①で列挙した「使えるマニュアル」にするための条件は、東日本大震災関連の判決で指摘されていた問題点を元に、私が考えたものです。
この中で、第7として挙げた「職員だけの、マニュアルをもとにした訓練」というものを、実は私自身が受けたことがありません。震災後しばらくは、そのことに何の疑問も持ちませんでした。でも、ふと「自分は何の役割なのか」を知らないことに気づき、そして疑問に思ったんです。「子供の避難訓練はしているけど、職員の対応訓練はしていないのでは?」と。
子供を預かる施設の職員は、子供がいればそちらに意識が向かうのは当然のことです。マニュアルを理解しないまま、マニュアルに基づいた避難訓練を、子供と共にやったとしたらどうなるでしょうか?混乱すると思いませんか?そこで出てきた問題点が、マニュアルの不備によるものなのか、それとも職員の訓練不足によるものなのか、どうやって判断するのでしょうか?
ですから私は、まず、職員だけで訓練をすること。その上で、子供と共に訓練をすることの2段構えの避難訓練を勧めたいのです。
忙しい現場の中ですが、例えば長期休業中の半日を使って職員の訓練をしてみてはどうでしょうか。その上で、子供と共にマニュアル通りの訓練をしてみる。
教員の多忙化を軽減するために、様々な業務が見直されていることと思いますが、絶対に無くならない、あるいは軽減されない業務が3つあると私は思います。学習指導と市民教育(特別活動や道徳教育を通じたもの)と、子供の安全配慮(もしくは保護責任)。防災は子供の安全配慮と市民教育にあたる、職員の重要任務だと思いますが、いかがですか?
4 訓練の結果をマニュアルの見直しに生かす
どのようなマニュアルも、作ってしまえばそれで安心。という弊害があります。そして何年も見直しをされず、やがて形骸化してしまう。
学校であれば、11月から12月頃になれば、学校教育全体の評価を行い、それを次年度の計画づくりに生かす機会があります。ですが、それ自体が形骸化していませんか?
さて、防災マニュアルを形骸化させないために、訓練の直後にマニュアルの見直しアンケートを実施してはいかがでしょうか?しかもアンケートの記入自体を訓練の1つの場面に繰り入れてしまう。
子供と共にする訓練では、子供にも職員の動きも含めてアンケートをとる。保護者や地域住民も参加するなら、その方々にも評価してもらう。これはリスクコミュニケーションの1つになると思います。
そのためにも、防災マニュアルそのものか、その抜粋を広く公表しておくことが望ましいと思います。
また、災害の想定も定期的に見直すべきです。
最近では、個人情報の漏洩に敏感な方が(あるいは他の理由かもしれませんが)いらっしゃるために、家庭訪問を取りやめた学校もあるようです。
職員が地域の実情を肌で知る良い機会なので、少し残念ですが、そういう学校でも職員が直に地域全体を見る機会を作るべきです。
地域は必ず変わります。道路が拡幅した、団地ができた、ショッピングモールができた、木が伐採された・・・。何かが変われば人の動きが変わり、リスクも変化する。
ですから、災害想定はできれば毎年、少なくとも3年に1回は見直すべきです。しかも、全職員がその見直し作業に関わるべきです。
大川小学校では、当時の校長先生や教頭先生以外にも何名か、津波が川を遡上するリスクを知っていたと思われます。なぜなら、そういうことに触れた研修に参加した記録があるからです。でも、そういう知見が学校の防災マニュアルに生かされていなかった。
だからこそ、防災マニュアルの作成または見直しには全職員が関わり、その個々人の知識や経験と想像力が反映されていくような仕組みをつくるべきなのです。
まとめ
東日本大震災の3つの事件の判決文を読んでいて感じたこと。
まず、マニュアルが使えないものだったこと。
これには2つの意味があります。一つは、想定が甘く使用に耐えない。二つ目が、マニュアルの存在を無視して場当たり的に対応していたという意味。
次に指摘できるのが、情報収集努力の欠如。
情報は聞こえてくるものではなく、自ら意識的に収集しなければならないのです。自ら災害を想定し、その想定に対する情報を自ら収集して、はじめて生きたマニュアル、意味のある訓練に結び付くのだと思います。
また、練り上げたマニュアルに基づいた訓練が不足していた(あるいは訓練していなかった)
災害発生時の混乱と興奮のさなかに、少しでも冷静に判断し行動できるのは、生きたマニュアルに基づいた訓練を重ねた経験量と、そのマニュアルを常に見直す、つまりマニュアルを絶対視しない文化にあると思います。
上記3つの欠点があったために、判断が遅れあるいは誤り、その結果、命をおとし、残された者は一生背負うだろう重い傷を負いました。
震災の記憶の風化が指摘されています。
私は震災の記憶自体が風化してしまうのは、ある意味しかたがないことだと思います。
しかし、幾つもの命の犠牲によって得た教訓だけは風化させてはならない。
そういう想いで、この記事を書きました。
私自身、さらに学び、考えを練り上げていきたいと思っています。
ですから以上の中で、不備・不足等があれば、御遠慮なくご指摘ください。