「終活」なんておやめなさい

ひろさちや という仏教の本をたくさん書かれておられる方がいらっしゃいます。

私が大学生の時、後輩にこの方の著書を薦められて以来、これまで何冊か購入し読んでいます。つまり、私の仏教に関する知識の多くは、この方の本から得たものです。

困ったことに、ひろさちやさんは「『終活』なんておやめなさい」という本もお出しになっているんです。

※「終活なんておやめなさい」ひろさちや著(青春新書プレイブックス)

しかも、現在発売されている「週刊新潮2021年5月6・13日ゴールデンウイーク特大号」にも同じタイトルの記事が載っているらしいのです。

ちなみに、私は新書の方を読みました。

ひろさちや さんらしい、とてもわかりやすくて、「なるほど。さすがだなあ」と感心してしまいました。

しかしながら、ここは敢えて尊敬する ひろさちや さんの主張に異を唱え

自分なりの終活をいたしましょう!

と、私は言いましょう。

ひろさちや さんはバリバリの仏教徒だと思います。

ひろさちや さんの「終活をしない」という主張は、1つには仏教の考えが背景にあると思います。

でも、私たちの中のどれほどの人が、そうした仏教的死生観を持っているでしょうか?

もう一つ、ひろさちや さんの「終活をしない」という主張には、いくつかの世代が同居する昔ながらの家族の存在を前提にしていると私には思われます。

つまり、祖父母、両親、孫の3世代同居家族。あるいは同居まではいかなくても、しょっちゅう互いの家を行き来したり連絡を取り合っている家族。

こうした家族ならば、互いの経済観や死生観を知り、感じられる関係にあるから、遺言やエンディングノート、あるいはリビングウイルなども不要かもしれません。介護も、自宅で家族が協力して行うことで、何の不足もないことでしょう。

さらに、お葬式の形式も古くからのしきたりで行うことが当然で、「死人が出た」となれば頼まれなくても隣近所から人や物が集まり葬式が進んでいくというような地域であれば、かえって「葬式への希望」などは邪魔なだけかもしれません。

しかし、社会も人も、そうしたものからは変わった。

あなたの大よその財産や死生観あるいは信仰や、生活・食べ物の好みを知っている人で、身近にいるのは何人おられるでしょうか?

だから、私は「終活をしましょう!」と呼びかけます。

終活は、「自分がやがて死にゆく存在である」ということを受入れていく準備にもなります。

この「死にゆく自分を受入れるための終活」は、ひろさちや さんも否定しておりません。

また、嬉しいことに、ひろさちや さんは「散骨おおいに結構」と仏教や葬式・納骨の歴史を踏まえて、述べておられます。

だから、自分なりの終活をしましょう。

とりあえず、御家族で私の終活に関する動画を御覧になってみてください。

動画は無料で御覧いただけますから!

公開済みの動画は、「動画のリスト」から見ていただくか、YouTubeで「仙台の澤田行政書士事務所」で検索してみてください。

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