昨日、美味しいと評判の温泉街にあるピザ屋に妻と行ったんです。
開店時間の午前11時を少し過ぎたくらいの時間。
既にいくつかのテーブルにはお客さんがいたけれど、予約なしでも何とか待つことなく座れたのはラッキーなことだったんです。
いつもの癖で周りを見れば、小さな子供をつれた人たちがくつろいで料理を待っています。テラス席にはペットを連れた人もいます。
隣の少しだけ仕切られた空間のテーブル上には「予約」のプレートがありました。
私たちより少し遅れて、その予約席に若い夫婦がベビーカーを押して入りました。
しばらくは赤ちゃんは静かにしておりました。でも、当然のことと言うか、ぐずりだします。お母さんが抱っこしてあやしますが、赤ちゃんの泣き声は少しずつ大きくなっていきます。御夫婦が小さな声で短く話し合った後、お母さんが赤ちゃんを抱っこしたまま外に出ていきました。
私たちのテーブルに注文していた1品目のピザが運ばれてきました。評判通りの美味しさです。前にも食べたことのある妻が「癒しのピザ」と名付けた通りの味だと私も思いました。
赤ちゃんを連れた隣の席のお母さんは、まだ戻ってきません。
2品目のピザを私たちが味わっている時も、まだ戻りません。
予約席で待っているお父さんのもとにも、御夫婦が注文したピザが運ばれて来ました。それでもまだ、お母さんは戻りません。お父さんはスマートフォンを見つめています。おそらくお母さんと連絡をし有っているのでしょう。スマートフォンを静かに置いて、お父さんはピザを食べ始めました。
私たちが注文したピザを全て食べ終わっても、赤ちゃんとお母さんは戻りません。
結局、お母さんはテーブルでピザを食べるのを諦めたのか、お父さんが残しておいたお母さんの分のピザをお店の人に頼んで包んでもらっていました。
正直言って、この光景がとても残念でした。
若いご夫婦はお店や周りの客に気を遣い、泣き止まない赤ちゃんを連れて外に出たのでしょう。
でも、店内には小さな子供を連れたグループも何組かいました。落ち着かない子どももいた中で、赤ちゃんの泣き声をとがめる人はいなかったのではないかと思います。
でも御夫婦は気遣った。日曜日に予約をしてまで来店するほど、楽しみにしていただろうに。
お店は評判の良い人気店ではあるけれど、敷居の高い店ではありません。ドレスコードがあるような大人の店ならば、赤ちゃんを連れて行くことは少し配慮が必要かもしれませんが、そこはそういう店ではない。そうした一般の人々が家族連れで気軽に行けるような店ならば、親が赤ちゃんの泣き声に必要以上に気兼ねしなくても良いのにと私は思ったのです。
もしかすると、前に赤ちゃんのことで気まずい思いをしたことがあるのかもしれません。
あるいは、様々なところで言われていますが、子供の泣き声やはしゃいぐ声に寛容ではない空気に敏感にならざるを得ないのかもしれません。
いずれにしても残念だと私は思うのです。
もっとも、そういう私も小学生くらいの子が、店の中で騒いだりすることを快くは思いませんけどね。(同時に、「躾をするのは親だけだろうか?」とも思いますが・・・)
赤ちゃん連れの方々が安心して食事を楽しめるような街は、誰にとっても住みやすい街であり、そうあるように努めることが、その街にいる大人の責任なのかなと考えた出来事でした。
ついでに言えば、「誰もが安心して食事を楽しめる」ような店であるのは店主の責任は大きいけれど、それだけでもないと思うんですよね。客が寛容であれば店主もそうなるだろうし。「誰もが安心して住める街」であるためには町内会や行政が果たす役割はあるけれど、それだけでそうした街ができるとは思えないんです。そこに居住する人がそうした街にするために少しずつ努めていかないと実現できないだろうと。
自分のことで一杯いっぱいになりがちな現在だけど、時にはそんなことを考えてみたり。