わきまえない者がわきまえるようになった時(告白)

大学を卒業してから最初の退職をするまで、私はたぶん「わきまえない者」だった。

会議でそれが誰の提案による議題であったにせよ、疑問や意見がある時には、当否はともかくとして発言していた。

振り返れば、恥ずかしい意見や、ばかげた質問が多かったと思うけれど、そういうことはお構いなしに物を言っていたと思う。

というのも、大学生の時、「サークルの先輩達が『ミーティングで、澤田が何も言わないのはなぜか?』と真剣に心配し議論になった」と、忠告してくれた先輩がいたから。

それ以来、努めて発言をするようにした。

質問をするようにもなった。

時には、普段、信頼していた上司と会議の中で意見が対立したり、会議が長引いてしまうこともあった。

そういう私を、助け、信頼してくれた上司や同僚たちには今も感謝している。

退職し、10年程の時を経て、非正規として再度、働き始めた。

もちろん会議にも参加した。

(参加しなくてもよい、と言われたこともあったが)

年をとったせいか「わきまえる」ようになった自分がいた。

それでも、小さなミーティングでは意見を述べることもあった。

でも、会議自体が、というより組織自体が変わったようにも感じていた。

会議は、資料を読めばわかる内容で、言ってみれば報告会に近かった。

全体会議の前に、経営層を中心として内容のすり合わせがされている所が多かった。だから、全体会議はそのすりあわせの報告会。

他の職員が意見を述べても、提案内容が見直されることは、退職前の会議の時よりも減ったように思う。

(職場の雰囲気、何よりもトップの姿勢が会議の雰囲気に影響するのは、どの業界でも同じかもしれない)

それより、会議の類は短時間で終わることが望まれていた。

質問も発言も、よほど理に適っていなければ、違反行為のようなものだ。

そのような発言があった時には、ため息が聞こえ、私もため息をした。

非正規の私が提案する側に立つ機会もなくなっていった。(あるいは、実力への正当な評価だったか?)

どんどん、会議の私は「わきまえる」人になっていった。

見渡せば、わきまえた人たちが多数派を形成していた。

私は、ようやくこの社会で「大人」の仲間入りを果たしたのだろう。

ついに私は、「わきまえられる」ようになったのだ!

そして、会議は私の睡眠時間になった。

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