先日、高齢者向けのセミナーを行いました。
「もしもの時にどんなことをするのか」というタイトルで、地域包括支援センターの利用だとか、エンディングノートを書く目的、改正された相続法などについて、ざっくりと紹介する内容です。
このセミナーでは「延命治療についての意思」を書き残したり、家族に話しておくことをお勧めしています。
そしてこの話をすると、毎回、受講されている高齢者の反応が活発になります。
というのも、既に何らかの方法で対応している方がほとんどで、それぞれどのような手段を講じているのかの情報交換が起きるからです。
便箋にしたためて封筒に入れている人。紙に書いて財布に入れて持ち歩いている人。保険証やお薬手帳と一緒に保管していたり、家族がそろった時に話していたり。
そうした他の人の実践を聞いて「なるほど、そうした方法もあるんだね」と感心しあっているからです。
私が考えさせられるのは「ほとんどの方が何らかの実践をしている」ということ。何もしていない人は、ごく少数です。
これはおそらくは、テレビや新聞、雑誌などの高齢者にとって身近で多様なメディアが、繰り返し、わかりやすく、かつ説得力のある表現で取り上げているからではないでしょうか。
高齢者にとって生死に関わる問題というのは、深刻に受け止められるものだと思います。
けれど、そうした重い課題について冷静に受け止め、考え、行動に移している。さらに他者の取組みとその理由を真剣に聞き、なるほどと思ったことは自分もやってみようとする。
セミナーにいらっしゃる方は、たとえ足腰が弱っていても、気持ちがしゃきっとしている方ばかり。年齢的に病や死を意識はしているけれど、まだ現実的あるいは切迫した気持ちで意識しているほどではない方々。
だから、延命治療という重い課題にも、冷静に考え対応を考えることができるのでしょうか。
これはリスクマネジメントとか危機管理とかリスクコミュニケーションとか、そうしたことにも当てはめて考えることができるのかな、と思うのです。
つまり、まだ危機が現実のものとなっていない段階で、起きる可能性のある出来事と、その時の対応やら事前の対策について、わかりやすく、かつ説得力をもって説明しておくこと。
まだ危機が訪れていない段階だから、聞き流すだけでのんびり過ごす人もいるかもしれないけれど、自分でできる事前対策をコツコツやる人も少なからずいる。
そして何かの機会に、周りに事前対策をしている人がいることを知った時、のんびりした人の中にも、それにつられて準備し始める人も出てくる。
高齢者向けのセミナーをやってきて、そういうことが実感としてわかってきました。
危機が訪れた時の対応以前に、普段の情報提供やコミュニケーションの在り方が大切なんじゃないかなと、思った次第でした。