50歳あたりからの自分自身を振り返って「自分も年を取ったな」と実感した時を、挙げてみます。
- 健康診断で初めてバリウムを飲んだ時。
- バレーボールをしていて「あそこにボールが落ちる」と分かっているのに、足が動かなかった時。
- テニスや野球のボールの動きが分かりづらい時(動体視力の衰え?)。
- 本と目の距離が遠いと妻に指摘された時。
- 妻の話を聞き返した時。あるいは逆に聞き返された時。
- 頭に浮かんだおやじギャグを言わずにはいられない衝動を感じた時。
- にわか雨を直接地肌に感じた時。あるいは鏡に映る自分の頭部の輝きが年々増してきているように思えた時。
- 顔は覚えているのに名前を思い出せない時。
- 教え子が子供の写真を印刷した年賀状を送ってきた時。
- 教え子の子供が大学に進学すると聞いた時。
- 若い同僚が荷物を持ってくれた時。
- ・・・
こうした1つ1つは、初めて自覚した時にはちょっとした衝撃を感じるのですが、近頃ではごく普通の事と受け止めている自分がいます。そして、毎年、新たな「自分も年を取った」と思う瞬間がやってくるのです。
でも、これ以外の時間は、もちろん自分の年齢など意識にものぼりません。1年の大半は「自分も年を取った」などと思うこともないのです。
衰えは徐々にやってくるために、何かのきっかけがなければ自覚できません。1年前に出来ていたことは、今も出来て当たり前だと思っている。でもそうではない現実を突きつけられたときの衝撃!そうしたことが積み重なっていくことは、言ってみれば「人生の終わり」が少しずつ近づいていることを意味している。
逆に、衰えていく自分にも、まだやれることがあるという自信は、私がもう少し若いころに考えていた以上に、年配の方にとって大きなことなのかもしれません。
高齢者の、特に自分の親の介護や相続や遺言や自動車の運転免許の返納や成年後見や家の整理などを考えるとき、こうした心情があるかもしれないということを心にとめておくことが大切なのかもしれない。そう思ったのでした。