昨年末に母の妹が亡くなりました。すい臓がんでした。
母の家から車で40~50分の所に住んでいた母の妹とは、お互いに高齢だということに加えて、母の妹が認知症を患っていたことも重なり、ここ数年は互いの行き来はほとんどなくなっていました。
亡くなる数日前、母の妹の息子、つまり私の従兄から電話があり、もう永くはないことを告げられました。
私は、母と、近所に住む母の姉を車に乗せて、母の妹が住む家に行ったのでした。
部屋に入った時、母の妹は目覚めていました。もともと物静かなその人は、私たち3人が室内に入っても何も言わずじっと私たち一行を見つめているだけでしたが。
母の「私が誰か、わかる?」という問いかけに、「なんでそんな当たり前のことを聞くのか」と言いたげな少しむっとした表情で「わかるよ。〇〇ちゃんでしょ。」と母の妹は、珍しいくらいのはっきりした口調で母の氏名を答えたのです。
その答えの名は当たっていました。でも、姓は母の旧姓でした。
その時の母の妹は、母が結婚する前、実家で母の妹たちと暮らしていた時を生きていたのです。
認知症の方と会話をすると、その方が現在の実年齢とは違う年齢の時にタイムスリップしているときがあります。
小学生の子供を育てている母親である自分。学校からの帰り、寄り道している自分。私の父は、何年も前に退職した会社で働いていたりしました。
もしかしたら、楽しかったり、活躍していたり、充実感を覚えていたり、最も幸福を感じていた頃の記憶に生きているのかもしれません。
認知症の方が、もし、そうした幸せな年代の自分にタイムスリップをしているならば、その現実をそのまま受け止めてあげたいと思ったものです。
母と母の姉との、生前の最後の時間。1時間かそこらの短い時間だったけれど、母の妹にとって幸せな時間だったならうれしい。