必見!~映画「オレンジ・ランプ」

 おととい(10月14日)、仙台市の日立システムズホールで行われた、オレンジ・ランプの上映会とワークショップ・講演会に参加しました。

 映画「オレンジ・ランプ」は、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんの実話をもとにした物語です。

 この日のワークショップでは、認知症と診断されてから10年の時を経た丹野さん御本人もステージに立ち、約1時間、参加者の感想を聞き自らの想いを伝えていらっしゃいました。また、開会前や休憩時間中、認知症当事者が語るビデオが上映され、何人かの当事者の声を聴くことができました。

 開会・ワークショップでは宮城の認知症をともに考える会の会長(?)山崎英樹先生の短い講話があり、認知症に関わるこれまでの制度の変遷等から世の中の視線(?)の移り変わりを分かりやすくお話しされておりました。

 この投稿は映画、ワークショップ、ビデオ・講話を観て聞いた報告と感想です。上手くまとめることができず、重複する記述があるかもしれませんし、長くなるかもしれませんが、その点、御容赦ください。成年後見などの勉強をし、人に語っている私なのに多くのことを考え気づかされ、心を揺さぶられた証拠です。

 最初に、強く言いたいことを書きます。

 1人でも多くの人に、一度は映画「オレンジ・ランプ」を観てほしい

 今現在、認知症と関わりが有るとか、無いとかにかかわらず観てほしい。

 以下、その理由をダラダラと書きます。見て頂けるのなら、読まなくても良いくらいです。

「に」から「と」へ

 山崎先生の講話で「『その人に何ができるか』から『その人と何ができるか』への変遷」という指摘がありました。

 丹野さんの言葉では「支援者というより、パートナーであってほしい」という希望。

 ビデオやワークショップで当事者が語っていたのは「出来ることを取り上げない」「やりたい事をやらせてほしい」という願いです。

 その希望を実現するには本人の気持ちを知る必要があり、そのためには会話が必要です。でも、認知症の方の中には、しゃべらない人もいます。

 丹野さんは「『しゃべれない』のではなく、話す機会を与えられていない事もある」と指摘されていました。

 映画では、こうした願いがストレートに伝わってきます。

診断の前と後で何が変わる?

 映画の丹野さんが認知症であることが「わかる」前と後で、何がどのように変わったのか。私にはそれがとても印象的でした。

 それを書くことは映画のネタバレになりそうですが・・・。

 まず映画の丹野さん御自身が変わった。一時は悪い方へ。でも、おそらく「自分は認知症である」ということを受け入れたことと、他の認知症の方と出会い話をするようになってからは、より強く優しくなった。

 でも何よりも、周囲が変わった。映画の丹野さんが認知症だと分かった瞬間に!

 心配と気遣いのあまり、映画の丹野さんがやりたいことを先回りするようになった。気遣いを押しつけるようになった。ちょっとした失敗を認知症のせいにするように見えた。「何もできない人」「何をするか分からない心配な人」になった。

 「○○さんは認知症」だと分かった瞬間に「何もできない人」になってしまった!

 認知症と分かる前から○○さんは認知症であり、失敗することもあったかもしれないけれど、失敗することもなく他の人と同じように、ごく当たり前に自分で多くのことをやっていたのにも関わらず!

 時として周囲の過剰な心配や気遣いは、本人を苦しめることになる。

 家族や親しい友人や知人であればあるほど、本人は自分の思いを打ち明けられず、鬱屈したものを抱えため込んでしまうこともある。

 それが時として荒い言葉や暴力として表れることも。伝えられない諦めが鬱のような状態を招くことも。

 映画の丹野さんがスーパーで買い物をすることを奥さんが認めた時、おばあさんがたい焼きを口にした時の表情!

「残存能力の活用」は権利である。

 「残存能力(あるいは残存機能)の活用」という言葉があります。例えば右腕が麻痺していても、他の体の機能を使って自分で出来ることは自分でやれるようにする、という意味かと私は理解しています。認知症の場合は、「記憶することが難しくても、メモをし読めるなら、その方法を利用してみよう!」というような。

 私の場合、残存能力の活用という言葉を「支援者」という立場で理解していたように思います。

 でも、認知症の方、障がい者からすれば、これはむしろ権利なのではないのか?と映画を観て思いました。

 「自分で出来ることは自分でする」、ある意味、自由に自分らしく生きるために自分に今、有る力を発揮する。たとえそれが不格好でも時間がかかっても。

あきらめず、工夫で乗り切る

 丹野さんは「認知症でも諦めない」ということを、たびたび口にされました。

 もちろん病気や障害、その他の事情で「やりたいことが出来ない」状況は誰にでも訪れます。でもその状況は、もしかすると工夫次第で乗り切れる。だから、諦めない。

予防より備えが大切

  地震や台風を予防することはできません。でも、それに備えて被害を避け、軽減し、乗り越えることは100%ではなくても可能です。

 食生活や運動、会話などで健康な身体を維持できるかもしれませんが、病気やケガを100%防ぐことは不可能です。認知症やガンの専門家も認知症やガンになるのです。

 予防はできなくても、備えることはできる。丹野さんや山崎先生が呼びかけていることです。

 自分自身が認知症になる可能性がある。隣にいる人が、道ですれ違う人が認知症であることもある。

 そのことを当然の前提として、「そのとき、私はどうするか?」ということを折に触れて考え、備えておくことが大切なんだと私は思いました。それが「共生社会」ということにつながるかと。

 ちなみに、丹野さんは

 認知症になってからスマートフォンがとても役に立っている。だから、今のうちに使えるようにした方が良い

というようなことをおっしゃっていました。

 映画でもタイマーの機能を使っている場面が繰り返し出てきます。

 これも工夫と備えになりますね。

 

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