照顧脚下~こうした時だからこそ、自戒を込めて~

 照顧脚下(しょうこきゃっか)あるいは看脚下(かんきゃっか)とも言うそうですが、お寺の玄関やトイレで見かけることのある言葉です。

 現在の言葉で言えば「自分の足元を見なさい」となるでしょうか。玄関に掲げてあるということは「脱いだ履物は、きちんとそろえなさい」という意味にとれますが、仏教の、しかも禅宗で使われているならば、それだけのことではなさそうです。

 いつもの私の事ですが、言葉の意味を自分なりに解釈して、私の戒めとしています(といっても、決して守られている訳ではないのですが・・・)。しかも、その解釈は時と場合に応じて変化していきます。

 現在の状況下で、私は照顧脚下を次のように解釈していこうと思っています。

 何十年前かわかりませんが、マザー・テレサがノーベル平和賞の受賞を記念して日本で講演等を行った時のエピソードだったと思います。

 マザー・テレサの活動に感動し「私もインドに行って、活動に参加したい」という希望を伝えた若者に、マザーテレサが次のように答えたとか。

 「あなたの身の回りに、困っている人はいないのですか?」

 記憶力の弱い私が、曖昧ながら数十年経った今でもこのエピソードを覚えているのは、このやりとりに強く揺さぶられたからだと思います。そして、その記憶が、ここ1年程度、ことあるごとに思い出されるのです。

 世界に目を向ければ、あちこちで紛争に苦しみ、迫害を受け苦しんでいる人たちがいます。国内では毎年のように大きな災害が起きています。正月の能登半島地震では多くの人名が失われただけでなく、2百数十名の小中学生が家族から離れて集団生活をしながら勉強をするなどの先の見通せない不安や苦しみの中に数万人の人々がいます。

 でも、人の支援が必要なのは彼らだけなのか?

 マザー・テレサやお寺に掲げてある照顧脚下の文字が思い起こされるのです。

 日頃、自分の足元を見つめ、自分のできることをやり続ける。その延長線上に被災者支援、難民支援がある。そのような仕組みを考えたい。そう思った令和6年1月でした。

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